プロフィールを簡単に書いてみました

プロフィール

 

こんにちは、コナッツです。

 

前職で自律神経失調症になってから手足に力が入りにくくなりました。

いつ治るかも分からなく、普通に働くことができない状況になり、これからどうしようかなって考えた時にブログを書いておこうと思いこのブログを立ち上げました。

 

プロフィールは今後、書き直しや加筆をしていきます。

初めての夜逃げ

生まれて初めての夜逃げは23の時でした。

 

今は売り手市場で圧倒的に学生が有利と言われていますが、団塊ジュニア世代の僕たちは受験戦争、就職氷河期という悲惨な時代を過ごしてきました。

 

僕は最初から就職活動を一切せずに、学生時代からバイトで調理をしていたので、将来は調理の仕事をしたいと考えていました。そして長野オリンピックが開催された年に卒業しました。日本勢が活躍したオリンピックでもありましたね。

原田選手の「ふなき~」が今でも思い出されます。レジェンド葛西選手は原田選手のジャンプで「落ちろー!」って言ってたみたいですが・・・

 

話はそれましたが、卒業後にジャンプ台のある白馬でバイトをすることになりました。

20年も前のことなので詳しくは覚えていないけど、たぶん民宿のようなところだったと思います。

覚えているのはスナックみたいな薄暗い部屋で、ご飯を食べていたというところ。

 

そしてもう一人同じ日に入ったバイトがいました。彼とは同じ日に入ったということもあり、仲良くなってその後一緒に夜逃げをすることになります。

 

ここでは何の仕事をしていたかあまり覚えていませんが、料理長がやばいということが分かってきました。その時は”かたぎ”になっていましたが、元々はヤ○ザだということでした。

 

僕たちがいた時は従業員が男だけだったので大丈夫でしたが、オリンピックの時に働いていたカップルの女の子が料理長に手を出されるということがあったらしいです。

当然、カップルの男の方が黙ってるわけもなく修羅場になったという話を聞きました。料理長の話は、近所から働きにきていたおばちゃんからだったと思います。

 

料理長には入れ墨が入っていて、普通な感じではないことは感じていました。しかし僕らには結構優しかったので、そのような過去があったことに驚きでしたね。そしてその話を聞いてから同期の彼と話合って、近くで働けるところを探そうということになりました。

 

昼の休憩時間に仕事できるところを探しました。すると運よく、飛び込みにもかかわらず働かせて貰えるところが見つかりました。そこが「白馬樅の木ホテル」です。現在は外国の方に人気があるようですが、当時は小さなホテルだなって印象でした。

 

働き先が見つかったので、普通であれば辞めることを伝えて出ていけばいいだけです。だけど、普通に辞めることができるのか分からないと思った僕らは、夜逃げをしようという話になりました。そしてその日のうちに夜逃げを決行することになりました。

 

オリンピックが終わって少し落ち着いた時期だったので、泊りのバイトは僕たち二人だけでした。泊まっている部屋が建物の一番奥の半地下になってるところで、玄関から遠く夜逃げするには厳しい場所でした。

 

そこで部屋の上の方にある窓から逃走。

 

すぐに「白馬樅の木ホテル」に行き、見事に初めての夜逃げを成功させました!夜逃げは借金やDV夫から逃げるものだと思っている人もいるでしょう。

しかし僕たちが逃げたのは元ヤ○ザ料理長からでした。最初で最後の夜逃げになるだろうと思ってますが、あの時は結構楽しかったです。

 

逃げた後に働かせていただいた「白馬樅の木ホテル」では結局2ヶ月ほどで辞めました。主な仕事はホテルでのホール業務でしたが、オフシーズンに入ったということで暇な時が多かったです。暇なときは”作業”という雑用をしていました。

 

”作業”ではレストランの外にウッドデッキを作っていました。全くやったことがない素人にそんなことやらせていいのかって今なら思ってしまいますが、これも楽しんで働いていたのでいい思い出です。

”ガイアの夜明け【外国人客が殺到真冬のホテル戦争】”に出ていたのを見ましたが、昔よりいいホテルになっています。食事がブッフェ形式で変わってないのに安心しましたw

ネットワークビジネス

白馬から帰って来た年になりますが、学生時代に同じバイトで働いていた仲間から紹介されたのがMLM(マルチレベルマーケティング)、いわゆるネットワークビジネスです。

 

僕が紹介されたのは”ニュースキン”という会社でした。ネットワークビジネスってねずみ講じゃないの?って思っている人もいるでしょう。ねずみ講では実際には商品がなかったり、価値のないものを売ったりしますが、ネットワークビジネスはちゃんとした商品を販売します。

 

僕がニュースキンを知った時はニューヨークで株式上場して、日本に入ってきてまだまだこれからって感じのときでした。ネットワークビジネスを知った時は、すごいビジネスだと思ってすぐに会員になってセミナーにもよく参加してました。

 

しかしセミナーに参加したところで、新しい会員を入れて商品を買ってもらわなければお金は一切入ってきません。結局1年くらいしましたが、自分には絶対無理だとわかってネットワークビジネスはやめました。理由は、全く連絡をしてなかった同級生とか連絡できないので・・・

 

ネットワークビジネスは下手をすると変な噂が立ったり、友達や知り合いが自分から離れて行ったりします。もう二度とネットワークビジネスはしません。

飲食で働きながら夜間の調理学校

その後、飲食店で調理をしながら26歳の時に「辻学園日本調理師専門学校 夜間部」に通い始めました。いわゆる「TEC日調」です。探偵!ナイトスクープによく出演している林先生がいるところです。辻学園ではありません。

 

この時は当然、昼間に働きながら夜学校で勉強していました。学生は皆さん年上でサラリーマンをしながら、会社から行かされている方とかもいました。

 

調理学校の夜間部は、年齢層が高い、人数が少ない、授業中寝ても怒られないなどといった特徴がありました。働いたあとなのでめっちゃ眠くなりますzzz

 

しかし昼間よりいいことがあります。それは先生が作った料理をみんなで食べることができるということ。昼間の学生は人数が多すぎて先生が作った見本の料理を食べることができません。それと、先生が料理をしている真ん前まで行って調理を見ることができます。

 

その後調理師免許を取って、卒業後に働いたところがオーナーシェフのしているイタリア料理屋でした。入ってすぐに学校の先生からイタリアに行く話が来たのですが、シェフに止められて行くことができず・・・行っておけばよかったと後悔。

 

店は大阪の高麗橋という場所にあり、家のある神戸からは原付で駅まで行って電車、梅田で地下鉄に乗り換えて天満橋まで行き店まで徒歩という感じでした。

 

日給は1日5000円、交通費は1日500円、朝は8時過ぎから終わるまで。

普通に行けば交通費片道で500円かかるので、終わった後30分梅田まで歩いてから電車に乗るという生活を4か月して、こちらの店を辞めました。

 

辞めた理由はここのシェフが頭おかしいのと、こんな生活してるのがしんどすぎるっていうことでした。ちなみに現在は関空に店があるみたいです。興味があれば”DUE TORRI”へ

PIZZERIA Sciue’ Sciue’

その後もいろいろありましたが、30歳の時に”PIZZERIA Sciue’ Sciue’”で働き始めました。東京の会社だったのですが全国に店をフランチャイズ展開する予定で、モデル店舗として0号店を神戸に出店した店でした。

 

どのような店だったかというと、東京の”ピッツェリア パルテノペ”の渡辺さんにプロデュースしてもらい、姉妹店という感じの店でした。料理は創作を加えないナポリ料理で、仕事は楽しくしていました。

 

神戸の店を閉めることになり、東京の南青山で1号店を出すことになったのでしばらく大阪で働いていました。そして2号店が二子玉川にオープンすることになったので、シェフに呼ばれて東京で働きました。

 

辞める前は南青山の店で働いていて、結構芸能人が来る店でした。

例えば、やっくん、犯罪者になる前の押尾学、映画「初恋」の打ち上げで来た19歳の時の宮崎あおいなど。

 

結局、東京では9カ月くらいしかいなかったですが、いい経験になったと思っています。

一緒に働いていたひろくん(坂本大樹)は、第一回日本ナポリピッツァコンテストに優勝して今は自分の店(PIZZERIA DA GRANZA)を持っています。

完全に置いて行かれました。

 

30代半ばで農業

神戸に帰ってきてからは大丸別館のイタリアンで働いたりしましたが、調理の仕事に限界を感じて農業をしたいと思うようになりました。

職業訓練

農業することを目指したものの、まずは職業訓練を受けてマイクロソフトオフィスマスター(Word、Excel、PowerPoint、Access)を取得しました。取ってからは全く使っていないので、今では全く使えません。

 

さらに職業訓練で、神戸市西区の”キャルファーム”で農業研修を受けました。ギャルではありません、キャルです。

メインはトマトのハウス栽培ですが、露地栽培や座学などあり半年間農業について学べました。

代表の大西さんは農水省のHPに載っています。スゲー人です。

WWOOF・モクモク手づくりファーム

2012年の年末にWWOOFに登録し、年明け早々1月2日から和歌山に行くことになりました。

 

初めてのWWOOFは昔ながらの古民家で、屋根裏でねずみが走り回っているような家でした。しかし、こちらの農家では人がいっぱい集まるところで、滞在中はすごく楽しめました。

 

WWOOFを受け入れる方をホスト、WWOOFに行く人のことをWWOOFer(ウーファー)といいます。

ホストの屋号は米市農園といい、海外からも結構人が来ていて田舎なのに国際色豊かな農家でしたw

 

WWOOFは1日に6時間労働する代わりに、宿と食事を提供してもらうという制度です。

米市農園では、来た人をとにかく楽しませてくれるところで、常にウーファーがいっぱい来るような場所でした。

 

2月には大阪の枚方にある農園にお世話になりました。

すぐに和歌山に帰りたくなりましたw

 

枚方で2週間過ごした後一度神戸に帰ってから、3月にまた米市農園にWWOOFに行きました。

米市農園には5月にも行き、合計3回行っています。この時のWWOOFについてはまた記事にしてみたいと思います。

 

WWOOFで知り合った友達が、現在奈良でゲストハウスをしています。もともとゲストハウスめぐりが好きなやつで、よくしゃべりますwww

酒好きなので、もし飲みたくなったりしたら”ゲストハウス 奈良日和り”に行ってみて下さい!

 

11月にはずっと行ってみたかった”モクモク手づくりファーム”のインターンシップに参加しました。

2週間ほどしかいなかったのですが、こちらも非常に楽しく過ごすことができました。

 

モクモク手づくりファームのことを書いたら、長くなってしまうのでインターンシップでどのようなことをしたかだけ書いておきます。モクモク手づくりファームについて知りたい方は、ホームページで見てください。

 

インターンシップで行くと、まず自分のやりたい仕事を優先してさせてもらえます。

僕は農作業とソーセージ作りをしたいと思ってモクモクに行きました。。ソーセージはあまりできなかったのですが、モクモクの農場では農業の手伝いやモクモクではどのようなことをしているか教えてもらいました。

 

他には豆腐作り、手づくり体験教室の手伝い、のんびり学習牧場の手伝い、野菜塾市場での野菜販売などしました。

 

朝ご飯はビュッフェで、お客さんと一緒のものを食べることになります。

かなり楽しかったのですが、一番良かったのは天然温泉に無料で毎日入れる!ってことでしたw

毎日温泉に入れるのは最高でした。

>>モクモク手づくりファーム インターンシップ制度

2008年6月から株を始めたのですが、8月にリーマンショックがありあまりトレードはしてなかったと思います。あんまり覚えてない・・・

 

資金が減っていく中で、2010年か2011年頃に”アセットマネジャーズ”という会社の株を34株買って放置していました。たまに株価をチェックしていましたが、全く上がる様子がみられなかった(-_-;)

 

しかし、2013年になって安倍政権の金融緩和、経済政策への期待で底値を打った株が上がっていきました。そんななか、僕の持っていたアセットマネジャーズ(現いちご株式会社)が急騰しました。

 

不動産関連株が軒並み上昇していたのですが、アセットマネジャーズはその中でも一番あがったのではないかと思います。現在は200分割してるので低位株になっていますが、当時は13万円を超えました。

 

当然、この時は資金が増えて他の株も売買していて資金が800万円まで増えましたが、2013年が終わってみたらほぼ0になってました。トレード下手すぎるwww

地域おこし協力隊

2015年9月から滋賀県湖南市地域おこし協力隊で活動を始めました。

自分のミッションは農業と6次産業を目的をして、地域の活性化をするというものでした。

しかし、湖南市には農地があまりない、地域おこし協力隊が必要なほど田舎ではないということが行ってから分かりました。

 

その結果、農地探しに苦労して結局いい農地が見つからず、他の地域で農地を探したほうがいいと思い1年7カ月で辞めることになりました。

湖南市の失敗は市長が、「地域おこし協力隊っていう制度があるからうちでもやってみよう」という軽い考えで取り入れてしまったことですね。

 

よかったことは地域おこし協力隊をしていていると、多くの人と知り合うことができます。普通に農業や飲食業で働いていたら、絶対に出合うことがない多くの人たちと出会えました。いい刺激にもなり、知らない知識を得ることができました。そして給料以外に年間200万円の活動費が使えます。

 

任期中には”マイファーム”で農業研修を受けることができ、有機農業の勉強ができました。

あと、湖南市内にはタキイ種苗があり、見学会が開催しているときに申し込めば見学することができます。

木曽福島で開催された”はっこうのがっこう”にも行けたし、悪いことばかりではなかったですね。

 

そして当時、湖南市では直売所を作ることになっていて、地域おこし協力隊として関ることができました。普通に働いていたらできない経験ができる、地域おこし協力隊にまた機会があればやってみたいと思っています。

自律神経失調症

湖南市地域おこし協力隊を辞めた後、農業できるところを探してましたが、なかなか見つけることができなかった時に大分県臼杵市の移住ツアーに参加しました。

 

その時のツアーが記事になっています。JOINから来た方が同行していたので、記事になることはわかっていましたが、最近ようやく記事を見ました。

>>お試し移住体験ツアーに参加してみませんか?

 

臼杵市の野津という地域は、最近移住者が増えていて海外からの観光客も増えています。農家民泊をしている農家に泊まるのですが、僕が泊まる少し前に中国からの修学旅行生が泊まっていたらしいです。

 

このお試しツアーの参加者には、奥さんが日本人のオーストラリア人の方も参加してました。

市をあげて有機農業に力を入れているところでものすごくいいところでした。

市の担当者の方と移住に向けて話を進めていたのですが、単身で住む家が見つからずに結局移住を断念。

 

9月からつなぎとして滋賀県野洲市にある村田製作所で働き始めました。

そちらでは4勤2休で夜勤と日勤の交代勤務でした。しかし、初めての夜勤ということで夜勤明けの昼間に全く寝ることができずに体を壊して自律神経失調症になりました。

 

自律神経失調症で手足に力が入りづらい状態で働いていたのですが、この状態で11時間労働するのがしんどすぎたので辞めました。

 

1ヶ月くらい療養すればよくなるだろうと思っていたけど、全然よくならず( ;∀;)

 

立ち仕事が当分無理だと思い、今はインターネットで生活できるくらい稼げるように勉強中です。

 

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